―数学試合


かつて欧州には数学試合というゲームがあった。ルネッサンス期の話だ。資産家が数学者をよんで、数学の難問を出し、勝利したほうに賞金を与えるというものだ。


数学試合というインセンティブと、大学という研究する場所かつ知識の蓄積を行う場所があったから、欧州の数学は進歩が続いた。


中国の数学はあくまで官僚や技術者が使用する道具だったため、進歩が止まった。確か唐の時代に2次方程式を解く方法が確立されたとは聞いたが後はイスラムや欧州からの輸入である。


日本の場合は、和算という、数学の芸道ができた。日本も中国と同じく官学としての数学という位置づけだったが、数学が芸道化したため、インセンティブとして一般に広まった。しかし大学のような知識を集約する場が少なかったし、あっても宗教、官僚の教育のみだったから、あまり蓄積しなかった。


欧州の数学試合と大学制度は、欧州が後に世界の覇権を握る、根拠を象徴している気がする。