―自分


さてと、世界は自分が作り出したものなのか、世界が自分を作り出したものなのか、よくわかりません。前者は、世界を認知するものは自分だから、自分が見ている世界は事実ではなくある意味で幻想だ。というもの。ものは目でみるものではなく、脳で見るものらしいツーのが根拠。前提に確固たる自分が存在する、というもんがあります。後者は、自分というのは人間関係から育てられてきたもので、人間関係はどんどん変わりうるものだから、確固たる自分というものはなく、現象として自分があるというものです。


多分前者と後者の、「自分」という言葉の定義の仕方がポイントになりましょう。
前者の場合の「自分」というのは単純に情報処理の過程、と捉えても差し支えないでしょう。後者の場合、「自分」の意味は「アイデンティティ」と捉えるべきものでしょう。


とすると対立しているのではなくて、情報処理する過程たる脳が世界を作り出すが、アイデンティティは現象であって、世界の関係性に依存しているのでしょうか?


多分、自分という言葉はかなり状況に依存していて、状況を踏まえて議論せんと議論がこんがらがる、という発見ですね・・。


もしかすると、「アイデンティティの自分」は、自分の外にあってそれこそ60億通りの自分があるのかもしれませんね。