―ありゃりゃ


体育の時間に「先生今日、風邪で見学します」というのは許される。しかし「先生、僕今日鬱なので休みます」と鬱気味の15歳が言ったとしても、「○○君頑張れよ」と、教師は励ます気がする。普通の教師はね。こういうとき、15歳は決して励ましてもらいたいわけではなくて、純粋に不条理に落ち込んでいるから、15歳としては普通に休まさせてほしいだけなのだ。


教師は励ましを純粋に善意で言っただけなのに、15歳にとっては暴力的な言葉だ。15歳はこういう暴力のために20年ぐらい自室にこもるのかもしれない。


んで、俺は死ぬほど教師の立場になりたくないわけだ。アイヒマンなんてむごたらしくてしょうがない。普通にハンコついてユダヤ人をダッハウに送った小市民である。ある日突然、被害者が加害者に・・。アイヒマンのドキュメンタリーで、小さいころ強制収容所にいた看守がアイヒマンを見ているシーンがあるけれどもね、静かなんだけれども、原爆が落ちようがなにがあろうが、許さない、て表情で見てるんね。んでアイヒマンは目をそらして自伝を書いてホロコーストを告発するから死刑は許してくれみたいなことを言うんだね。ここでアイヒマンが悪党だとか思えないんですね。きっとユダヤ人の看守にとっちゃぁなにいってんだよと、いう感じですね。


加害者が被害者に・・。普通の人なのにね。


人生万事塞翁が馬らしいが、僕は・・。ね。だめだ。こりゃ。塞翁が馬でも金を稼いでサーカスつくろ。