―このごろ


高校時代のTという友人が来てくれました。彼とM川と共に福井県若狭高浜に行き、泳いで、酒と音楽で空と日本海を楽しみ、舞鶴に行って、京都でスチームボーイを見、いろいろ情報を交換しました。


彼は芸術家(当然俺とは全く感性が違う)の卵?です。芸術家というのは職業ではなく、行き方のスタイルのことです。高校時代彼に知り合ったため、僕は映画を撮り、ライブに行き、村上龍とジミヘンという世界に触れてしまいました。彼は現在ハードウェアを勉強していて、録音技術などに詳しくなっています。


そういうやつですから、大学で見る世界観とは全く異なるわけです。汽車の中で、「基本的な価値観は変わってないでしょう?」という質問は恐怖でした。多分、性格に基づく、「結果主義、現実主義、世界は相対的だ、一方で抽象的な世界にあこがれる」つーのは変わっていませんが、行動の面で変化している気がします。


特に、2つ大きいことを忘れていることを気づかされました。「お前とは違う、ことをする」というのと「レアな情報を集め続ける」というものです。前者はある程度あきらめていますが、後者は痛い・・。彼は「僕の情報は一般的に言われているジャンルわけではなくどれだけ偏桃体を刺激されたか、でフォルダわけしている」といいました。俺はこのフォルダわけをどれだけやってきたか・・。この二年間で希少な情報をどれだけ集めたか、どれだけ音楽を聴いてどれだけマンガを読み、どれだけ映画を見て、どれだけ本を読んだか、どれだけ美しいものをみたのか、ほとんど偏桃体を刺激していないのが現状です。今まで皮肉として奴隷という言葉を使っていましたが、本当に奴隷に堕したようです。


たんぱく質や脳の勉強をどれだけしたのか、大学生活にかまけて全くしていなかった自分がはがいたらしいです。


僕の目標は(夢ではない。)某資格を取得することなので、こういう感性を鍛えることは優先順位は低くせざるを得ませんが、それでも忘れてはならんことです。