―補給


参考インパール作戦


三歳のころ、自分の祖父を冒険家だと思っていた。祖母が、祖父は若いころビルマに行っていた、と言ったからだ。当時の僕はビルマなんて国を知らなかったので、きっと南の国の秘境に違いない、と信じていた。


ビルマが南の国である、ということは正しいが、僕の祖父は冒険家でもなんでもなかった。実際は、大隊の弾薬や予算の経理をする兵士、主計下士官としてインパール作戦に従軍しただけである。


インパール作戦とは、1943年、膠着していた重慶政府軍との戦争に勝利するため、主な補給路である援蒋ルートを切断することを目的とした大規模な作戦行動である。具体的には、12万の兵力を三個軍となし、インドとビルマの国境近くにあるインパール地方を占領するという作戦だった。


無謀な作戦だった。補給はなく、悪路の中を、12万の兵士が徒歩と馬で行軍するのである。持たされた荷物は1週間分の食料と弾薬だった。この一週間、という数字の根拠は、楽観的にもっとも順調に作戦が成功した場合、の数字である。結果、10万人以上の兵士が死亡し、そのうちの戦病死が半分以上であるという、悲惨な状況であった。


祖父は三度死んだという。死にかけた、のではなく、三度死んだ、確実に死んだ、といった。まず、タコツボに砲弾が直撃した。彼はたまたま壕から出ていて、生き残った。同僚5人の死体は確認できなかった。つぎに、マラリアに罹病した。39度の熱と下痢と、食料は米五粒と雑采、という中で快復するわけでもない。彼は明日快復しなければ放置する、といわれたが、奇跡的に快復した。最後に飢餓である。米五粒と塩、という状況が何ヶ月も続いた。そういうなか彼は生き残ったので、今僕は生きている。


一方の英軍も似たようなひどい状況ではあったが、航空機で、弾薬と食料の補給がある、という当たり前の状況を確保していた。


ここで重要な教訓がある。それは、「補給」の重要性、である。


まず、旧陸軍では補給作業を軽視する風潮があった。補給という作業は地味である。旧陸軍では補給作業を行う兵士を輜重兵といったが、ほかの兵科のものからは馬鹿にされていた。このような雰囲気は続いていて、特攻隊で死んだ兵士の映画は売れるが、地味な仕事の兵隊の映画は、うれない。ドラマがないからだ。


また、旧陸軍は実際インパールガダルカナルといった戦場へ補給線を維持できるような体制ではなかった、こともある。


この補給を軽視する風潮と、補給線が維持できない作戦を実行したため、インパールでは10万人が死んだ、ということだ。


今、この補給作業を看てみると、コンビ二のPOSシステム、郊外型大型店(ジャスコみたいな)の巨大なエレベーターと倉庫、など、社会の物流の効率が高まっている、のは事実である。ほぼジャストインタイム、いる分をいるだけ売る。このような仕組みがある程度実現している。ありがたいことだ。いずれはすべての商品にICタグがぶち込まれ、さらに効率的になっていくんだろう。(これらの会計処理も多分自動化されているはずだ。だとするともう日商簿記検定3級なんて飾りに過ぎない。)


というわけで、補給、物流は大切だよ、ということで。