―イノベーション


今、僕がバイトしている先の従業員にKさんという初老の温厚な方がいる。今から書くのは彼から聞いた話である。


今から40年ほど前、信州のアルプス山中に「木村会館」というパチンコ屋があった。木村会館は、名古屋でパチンコという業種が誕生した直後に創立されたが、明らかに交通の便が悪く、資金もなかったため、客足は減少していった。最終的には10近くになった。これが10年間続いた。もっとも、オーナーは別の鉄工所を持っていたし、思い入れもあったため、木村会館を手放すことはなかった。


そのパチンコ屋の住み込みのOは、1930年の生まれで、生まれつき口が聞けず、八百屋の丁稚で青春を過ごし、敗戦で名古屋に出てきて、パチンコ屋の住み込みをやっていた男である。彼は平均的な男性だったがひとつだけ武器を持っていた。「徹底できる」という武器である。


彼は20年間、パチンコ台の釘を調整し、掃除しつづけた。徹底的に、続けた。もっとも業務事態はヒマが多かったため、彼は時間を計測し、目標を立てて、行える余裕があった。20年後、彼は0,01mm単位で釘を調整できるようになっていたし、わずかの時間で清掃できるようになっていた。


ある日、同じ町にあるカメラのレンズの試作品を作る工場で、試作品を作る担当者が脳溢血で右半身麻痺になった。試作品の納期は近づいている。ある同僚が木村会館のOのことを思い出し、工場に呼んだ。Oはしばらく考えてから、応じた。Oはまったく狂いのない試作品を短時間で作成し、工場は急場をしのぐことができた。


ドラッガーイノベーション入門は、成功するイノベーションの要件のひとつに、「自社の強みを考え抜き、必要のあるところで、生かす。」をあげている。このOの話はその典型である。