―巨人の話
山の上に、巨人がいました。
巨人は、雲の上に顔が出るくらい大きいものでした。
巨人の足からはたくさんの木が生えていて、森ができていました。森の中には、リスがいて、イノシシがいて、狼がいました。
巨人の手のひらの上には湖があり、シベリアから飛んできた白鳥が、越冬地へ行くまでの、休憩所になってました。
巨人はほとんど動きませんでした。
初めて田んぼができたときも、動きませんでした。
戦争が起きて人がたくさん死んだときも巨人は動きませんでした。
ロケットが飛んで、つきまでアメリカ人がいった時も、巨人は動きませんでした。
なぜなら、われわれより、ゆっくりな時の流れにいたからです。
像には像の時間があり、ハツカネズミにはハツカネズミの時間があり、人には人の時間があります。時間の感じ方が違うということです。ハエにはハエタタキがとてもゆっくりに見えるでしょうし、雨つぶは、空から落ちてくるのではなく、ゆっくり浮かんで落ちているように見えるのでしょう。
さて、巨人は、ゆっくりとしたときの感じ方をしているので、土は、水のように、ゆっくり流れているのを知っていました。僕たちにとっての水のように、巨人にとっては土が流れていました。
あるとき、人間は、公共事業として、巨人を切り倒してしまいました。巨人の体はすべて有効利用されました。巨人の脳みそは、正露丸になり、骨は建設資材になり、毛髪は衣服にされてスーダン難民に送らました。
後に残ったのは巨大な足跡だけでした。
足跡には団地ができて、小さな石碑が立ち、観光名所になりました。
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巨人が本当にいるかどうか知らないが、土が流れている、のはきっと事実だ。地殻変動とかのレベルではない。今、自分が立っている地面の土が流れている。
人間はそれを想像できるが、直接的に認知できない。
だが、人間と巨人がコミュニケーションできないのは、認知の土台があまりにも違いすぎるからだ。
ここまで認知の土台がありすぎるが、双方の利害がなんらかで対立した場合、闘争というコミュニケーションしかありえないのかもしれない。これも、無関心よりマシな場合があるような期がする。