―中国の大臣の話

 ※実際にこんな話はないです。僕の妄想です。ただし、材料はいろいろな国地域の情報をくっつけてやってます。きっとこの皇帝は乾隆帝です。石炭製鉄は中国唐代から行われていました。芸人の話は江戸と中国から、米の先物取引は元禄の大坂です。軍隊の話はうそです。カービン銃は純粋に欧州の発明です。砲兵連隊の話はオスマントルコからです。魔鏡の職人は岡山にいます。NHKで見ました。もともとは中国の明代の技術だとか。神社のご神体の需要が多かったそうです。それでは。




 昔満州にえらい皇帝がいた。何がえらいというと、政策評価の観点からが一点目、次に、彼の人徳が二点目、である。


 当時の中国は、まさに黄金時代だった。

 まず、彼の治世には農業生産が350%増大した。農具の改良により農業生産の効率が上昇したからだ。その結果、余剰労働力が都市に集中した。彼らを問屋が雇って、マニュアルを与え、工房で使役した。工場制手工業である。また、米の先物取引が現れた。石炭を使った製鉄が行われるようになった。したがって、経済も潤った。人間は食べ物だけで生きるわけではないから、娯楽を求めた。芝居の技術が進歩した。かつて差別されていた芸人は、20年でスターになった。千両役者が現れ、劇場があらゆる都市に建設されていた。


 利潤は、軍事と教育に割り振られた。


 異民族の侵攻は悉く打ち払われた。騎兵にはもはや弓ではなく、片手で扱える銃器を支給された。英語で騎兵銃をカービンというが、語源は中国語の「可遍」である。また、砲兵連隊が設立された。これをまねてナポレオンが「師団」という編成を考えた、という話だ。


 そして教育では、歴史上初めて初等教育が義務付けられた。識字率が大幅に向上した。また、翰林には師範学部が併設された。現在のハルビン師範大学の前身である。


 ドイツ人の中国史研究家ケッヘルによると、中国史においてこれどのイノベーションが行われたことはなかった、という。


 彼自身、独裁者タイプだったが、素直に側近の意見を取り入れるほうだった。少なくとも自身でそのように信じていた。また、側近は優秀なテクノクラートばかりだった。伝説によれば、彼らは、新しい国家を建設する意気込みがあった。毎日1時間しか寝ず、何万枚もの書類を処理し、夜は夜で国家のVISIONを議論する、という生活を送っていたという。


 皇帝は優秀だったが、反抗するものに対しては容赦しなかった。一日に20人もの役人が殺された。朝参の時の皇帝の刀の上がり具合で皇帝の機嫌を役人が察知したといわれる。刀が上だった場合、たくさんの役人が死んだ。


 あるとき、ある高級官僚が、軍事予算よりも教育政策に予算を当てるべきだとの意見書を持参し皇帝の執務室を訪ねた。その意見書には当時最高の統計データの分析が添付されていた。高級官僚は物事を率直に言うことを胸としていた。が、あいにく皇帝は機嫌が悪かったのだろう、話の内容より、話方の方を批判した。高級官僚が反論すると、その場で官位を剥奪した上で処刑場に送った。


 以来、皇帝に直訴することは少なくなった。ゼロに近くなった。だが、皇帝のスタンスはあくまでよい意見なら受け入れよう、というものだったので、直訴がないことを問題視し、ストレスになった。処刑される役人の数は増えた。


 さて、皇帝は、一枚の鏡を持っていた。その鏡に光を当てるとたちまち皇帝の影が現れた。この鏡を魔境といい、光の反射を応用したトリック鏡である。現在日本の岡山県に一人だけ職人がいる。どれほど会議や議論が紛糾しても、この鏡を見せるだけで役人は震え上がった。鏡は、どこまでも皇帝の威厳はいきわたっている、というシンボルだった。


 事実、この鏡のことは海外諸国にも同じ意味でのシンボルだった。朝鮮では、この鏡のことを口にすることも、文章化することすらも禁じられていた。洪吉童伝説の中にも、鏡という単語はまったく出てこない。日本の侍たちも、からくにの鏡のことを知っていて、秀吉の朝鮮半島侵攻作戦の敗因をこの鏡であると納得していた。朝貢に出かけて、鏡を目にしたマレーシアのあるスルタンが、国内の鏡をすべて壊す、という政策を立案したが、鏡を神聖視する少数民族がゲリラ戦を展開し、結局スルタンは処刑された。


 
 ある日、経済担当の大臣が、その鏡を貸してほしいと言ってやってきた。曰く、「臣は、常に皇帝陛下と臣が祖国を経済成長セルことを(中略)皇帝陛下の御尊顔を常に拝謁したく存知仕ります。」とのことだったが、要するにいつも皇帝の顔をみたいから鏡をくれということをバカ丁寧に伝えただけだった。態度もバカ丁寧だった。卑屈だった。皇帝はその卑屈さに不快感を感じたが、なにより経済成長プランの立案者が相手なので、寛大に鏡をくれてやることにした。


 「これは軍機だ。他国に知られるな。この鏡があるからこそわが国が畏れられているのだ。だがいつまでも機密が守れるとは思えないから、3日だ。3日の24時までかしてやろうな」と釘をさした。


 卑屈な大臣は、頭を地面につけたまま、退出した。


 だが、3日たっても鏡は帰ってこない。皇帝はスパイを送り、査べさせた。その晩、スパイからの報告があった。鏡は割れていて使い物にならないらしいという報告だった。皇帝は約束が破られたことを怒り、そして、権力維持がこれから可能かどうか不安になり、鎮痛薬を服用して、精神を落ち着けた。とりあえず、この報告を受けて皇帝は経済担当大臣を玉座の前に呼んだ。玉座の間はとても広い。玉座の前には階段があり、コリント式建築をアジア風にアレンジしたような柱廊がある。その柱の影に白兵戦戦闘に長けた特殊部隊を一個小隊配置した。権力基盤が揺らいでいるのである。権力を維持できなければ、内乱になる可能性がある国である。だが、魔鏡が喪失したという事実を伏せなければならないため裁判沙汰にはできない。だから、大臣を暗殺しなければならないためである。


 皇帝はあえて無表情だった。特殊部隊は日本刀を構えた。彼らも冷静だった。


 やがてまな板の上の死んだ鯉のような目をした、大臣が現れた。皇帝は、NHKのアナウンサーのように、冷静に、おちついて、ことのしだいを尋ねた。


 大臣と皇帝は、しばらく目を合わせたまま黙っていた。そして、大臣が涙し始めた。教師に説教されている小学生のようだ。自分のプライドと、罪の意識と、許されてほしいという本能のギャップで涙をこらえている、なき方だ。皇帝はあくまで冷静だった。特殊部隊は集中した。


 突然、大臣が涙を止めた。そして、ゆっくりと、明朗な声で報告した。大臣は冗長に話す傾向があったので要約すると以下のとおりである。


 「国民の教育は高まり、科学も経済も進歩しているから、いずれ鏡のトリックはばれてしまう。そのとき国民はだまされたような気がするだろう。皇帝の威厳も失墜するだろう。すると、内乱がおき、鎮圧に派兵しなければならない。すると国家予算は圧迫されるし、経済は悪化し、国民が内乱を支持するかもしれない。これは深刻な問題なので、あえて秘密に鏡を壊した」といった。


 皇帝は反論しなかった。あえて不利益を畏れず直訴する臣を始めてみたからだ。皇帝は鷹揚にうなずき、同意を示した。特殊部隊はそのまま刀を収納した。


 その後、皇帝は立憲君主的になり、官僚の意見にサインをするだけとなった。処刑される役人の数は激減した。ガイドラインが作成されたためでもある。


 この大臣はそのご死ぬまで権力の中枢にとどまり続けた。大臣の死は国葬で取り仕切られて、宮内庁が特別に葬儀委員長を務めた。


 だが、しかし、当の大臣が述べたことは完全にでまかせである。かれは、エゴイストで、出世主義者だった。そもそも割れた鏡は大臣の家のトイレの鏡である。大臣はあくまで自分の立身出世のための政治的な道具として使った。彼にとっての皇帝と、皇帝にとっての鏡の関係はよく似ている。権力の基盤である、という点においてである。実際この大臣の提案した政策で今日からみて成功したといえる政策はない。あくまで高度経済成長期に特有の現象が、この時期に発生したという話である。


 結果的に教育は弾圧され、予算は削られ、ヨーロッパの進出によりシェアを奪われ、国民の不安は増大し、コミュニズムが流行し、新興宗教が星の数ほど表れ、帝国は崩壊した。


 美談の後ろには見もふたもない現実が隠れている。

 見もふたもない現実をリアルという。