―水筒買った→脳科学と社会科学のリンク→グチ

寺町で水筒を買いました。東ドイツ製らしく600円でチープなやつですが、雨天用の迷彩がかっこよく、値段も手ごろで、サイズもちょうどいいため、購入しました。

金はないですが、100円の麦茶を入れた瞬間、ファミリーマートの緑がとてもさわやかになり、寺町の薄汚れたアーケードにモノレールが走って万々歳という気持ちになりました。要するにうれしかったです。

近頃、単純な「経済学的合理性」という過程から経済を議論するだけでなく、心理学、社会学的なアプローチから経済を研究する手法がはやっています。つーかノーベル経済学賞はほとんどそれ。

人間ってわけわからんもんをとりあえず、経済学的合理性を持っている、と仮定した、経済学者を尊敬したし、人間ってわけわからんもんを定義せんと、社会科学系の学問はすすまんがやないか、という危惧を新たに持ちました。

ま、人間は(ツーか動物も)基本的に、快楽(生物学的な定義、誤解するな)を追求する動物、というのは多分正解でしょう。

快楽である、ないを処理するのは脳ですから、いずれ脳科学と経済学、経営学、とかがリンクする時代が来るはずです。

話が飛躍していってどんどんいっちゃってますが、飛躍についてこれない人間は、理解力がない、って傲慢に考えようと考えてる、今日この頃です。


どうして議論が見えない、とかで話をきるのでしょうか?会議で論点がずれる、飛躍するのは、しょうがないことですし、生産性の高い会議には飛躍が必要なんです。


会議に参加している人の想像力のなさに絶望を感じます。

「想像力が権力を奪う!!!!」(引用:69 村上龍著)


早く脳と脳をLANでつなぐ時代はこないんだろうか?

そのときには定年退職してて年金がたらんのか?

ちくよー