―美しさ。


春休みに金沢に行き、兼六園を見学した。兼六園日本三大名園といわれている庭園だ。江戸時代に加賀藩の前田家が建造した庭園である。春休みには雪が残っていて、雪が少ない高知市内出身の僕は、感動した。


庭的には京都円通寺の庭園のほうが美しいと思う。ただ円通寺兼六園は美のコンセプトも投資した資金も異なるので、同列に語るのは危険だ。


見学していて考えたことは、美学と論理は、「人間の脳にわかりやすい構造をしている」点と、「構造が重要である」点で共通しているという発見である。


当然の話だが、美しいかどうかというのは人間の脳みそが判断する。いろいろな文化で美しい人の基準は違ったりするが、美しい絵画の構成、美しい音楽の構成、は共通している。つまり人間という主で普遍的なものと考えてよい。
(美しいと宣伝されている、という要素もある・・。)


この「構成」が重要な点である。論理というものは構成を重要視する。論理学と近頃流行しているロジカルシンキングというのは異なるが、ともに意味、意見の構造を重視するという点では同じである。


美と論理は構造が重要である、ということでおいておく。
新たな問題点が出てきた。


構成を把握するのは前頭葉連合野という部分である。なぜここが論理などをつかさどるかは不明だが、抽象的な概念を作ることで、情報処理を簡単にするという要素はあるらしい。社会というのは複雑な意味を持っているが、社会という一言でだれでも、ある程度理解できる用にである。


一方情動をつかさどるのは右の脳という話があり、(一人歩きしすぎな学説だが・・。)美しいかどうか判断するときは、感情的なものも多い。また、美しいかどうか感じるときには過去の経験も重要だろう。


だから、前頭葉連合野で、右脳で、偏桃核で、海馬の歯状回で、処理した結果・・?わからんくなってきた。


詳しく勉強していないが、「美しさ」には脳の情報処理の段階によっていくつかの、まったく別のものがありうるのかもしれない。