―方言


方言が好きだ。国内旅行の醍醐味はほかの方言を聞くことだと思っている。事実日本国内でコミュニケーションできないような方言がある。


僕が中学校を卒業して、友人4人と九州を回ったときの話だ。福岡のラーメンとビールは美味しくて、福岡タワーから見た夜景に感動した。福岡のことばは割りと素直で、ぜんぜん普通の会話できた。


問題は、熊本だった。駅のトイレで横のおじさんがなんかいっているから、海外の人なんだなと思った。ところが、電車の中でもなにかわからない言葉が交わされている。そんななかで、水前寺公園の場所がわからなかった。当然交番で道を聞いた。


「・・・。」なんかいっている。標準語でしゃべってください、と一生懸命言ったが、なにかいっている。結局、理解できずに、わかった振りをして近隣の女子高生に聞き、目的地についた。


このとき、日本語には多様な方言があって、コミュニケーションすらできないんだという当たり前の事実に気づいた。これが面白かった。実は同じ民族でも、言葉が通じないのは当たり前だった。


僕は、四国方言でも独特だといわれる南四国の出身だ。現在進行形の用法と、現在完了(have P・P)の用法がある。また、古語の用法が残っている場合がある。げに、〜ざった、ヨウダイ、リグるなど。われわれ若い世代は使用しないが、中年、老人はよく使用する。現在、話者は、おおよそ80万弱だろう、残りの数万人は幡多弁といわれるまったくべつの方言を話している。


僕は別に出身地にプライドとかあるわけではないが、使用する方言によって他者と区別できる、という点が重要だと思っている。よく民族の定義は、「言語」だし、言語の違いによってよく民族紛争が起こったりする。なお、言語の区別は割りと恣意的に行われているらしく、日本での「沖縄方言」と「本州方言」の違いはドイツ語と英語の違いより大きにもかかわらず、同じ言語の方言と扱われている。中国語の広州語と北京語の関係も同じである。


大学に入って、周りで聞こえる会話がすべて関西大阪方言、あるいは京都方言という環境だったから、あえてコウチ方言を使ってコミュニケーションをしていた。マイノリティごっこを楽しんでいた。自分が異物である、という認識が面白い。ただし幻想ではあるのだが・・。


他者と容易に区別できる、というメリットはことのほか大きく感じている。


ただし、今僕は、関西方言を使っている。韓国系アメリカ人みたいな感じですね。