人類が際限なく能力を拡張していった先には何が残るのか?(悪い意味でなく)


能力獲得の結果得られるものは、ある状況下での自由だ。リフティングの力があると、ボールをある程度自由に操れるようになる。


こう考えたときサルトルと、友人の言葉を思い出す。


サルトル:「人類は自由の刑に処されている。」


友人は「究極の自由を手に入れた瞬間人類は終わるんだ」


自由とは手放しで喜べるようなもんではない。ていうか大方の人間にとってはめんどいもんだ。選択に困るだろう?


さて、究極の自由=能力を獲得する弊害を欠いたけど、一方人間には能力を獲得したい欲求があるようだ。心理学によると人間はある状況を制御できたときに快楽を感じるという。


空を飛べるのは、三次元の行動を自由にする。というわけか、第一次大戦の時、パイロット志願者が耐えることはなかった。当時のパイロットの生存率は1割。ほとんどのパイロットが2週間で死ぬ。そんな状況で志願者が耐えなかったという事実はこの主張を補強する。


この矛盾。すばらしい。


さて、ね。だれでもいいや。たとえば、自由から程遠い人間、金なし、やる気なし、女なし、プロフェッショナルでなく、とろくさいにんげん。こんな人に、1日だけ世界を自由にできる権利を与えたらどうなるんだろうね?