―宋代のルネッサンス。


語学の宿題で中国の異文化について作文を書いている。当然ネタには困るわけである。しばらく考えて行き着いたのが、中国は文化が優れていたのに、どうして停滞したのか?ということである。


あまり知られていないが、中国で石炭利用が普及したのは唐代である。石炭が利用できるということは強力な火力をコントロールできた、ということだ。これが大きかった。


まず、陶磁器である。陶磁器を作るためには1300度の高温が必要だ。これに石炭が使えた。そこで陶磁器の大量生産が可能になり、各工房が競争した結果、有名な中国陶器ができた。マイセンがこれを模倣する700年前である。


次に、製鉄。鉄の値段は唐末から低下していった。石炭のコークスを利用したコークス製鉄が普及したためである。このため、農機具の改良が起こり、中国農業は進歩した。それまでの貴族より、大土地を所有している地主が強くなった。地主階級の子弟は科挙制度を利用し、官僚を目指すものが多かった。官僚になるためには学問が必要だし、世襲制ではないから、教育熱が非常に高まった。


そして、官僚を目指す層は文化の担い手になる。科挙では作詞や書道が必要だし、中国の芸術家は主に官僚層だからである。この芸術に対する需要を満たすために、出版点数が大幅に伸びた。また、論文も増えた。中国では凶兆であるほうき星は政治とは関係がないから、といった科学的な思考が普及した。古文復古運動がおき、また、儒学への批判もできるようになった。この文化の隆盛を「宋代のルネッサンス」と宮崎市定は呼んだ。
(特筆すべきことに、当時、化石が古代の生物の痕跡であることを中国人は知っていたのである。)


また、製鉄の進化は軍事の進歩を進めた。鉄が安価に手に入るから軍需産業では大量生産が普及した。このため、職人芸の真髄たる日本刀が盛んに輸入されたている。安価な鉄は周辺の諸民族にも影響した。モンゴル軍の強さは騎兵の集中運用と、駅伝による情報伝達の早さ、若い(10台の)兵士の凶暴さ(若い兵士は一般的に凶暴である。ペルーの極左センデロルミノロや、コロンビアのコロンビア革命軍にはたくさんの少年ゲリラがいるが、一般に凶暴であると伝えられる。平気で捕虜を虐待するともいう。)、だけではない。安価な鉄製の兵器も重要なファクターである。これらの条件のため、モンゴル軍は世界を制覇したのである。


このように、宋代、ルネサンスとも呼べるような社会の変革が起こったのにもかかわらず、どうして中国で産業革命が起こらなかったのか、なぜ清末には半植民地と化したのか、わからない。清代には世界のGDPの半分が中国のものだったのにもかかわらず。