―自由
人間の意識、自由に意思決定をしてる、てのが脳科学や認知科学のなぞなんだと。
ていうのも、人間の脳みそ、神経細胞間の電気信号とかは物理的にできていて、「決定論的に(法則がわかったら理論で予測できる、太陽の運行とかのようなもん)説明できる。」
そこで、予測できるんだったら、もう自分の意思決定は決まっているに違いない。
一方、人間の意志、って自由に考えているような実感、感覚がある。
これはなぜだ?という話。
これを説明しようとする努力の中に、「電気信号の量子論でいう[ゆらぎ]を使って説明しよう!」てやつがある。
この問題意識が「脳とクオリア」という本に書いてあった。
- 作者: 茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 1997/04/24
- メディア: 単行本
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この本で自由意志についての結論は、「自由意志はない。という結論に達したが、本当のところは今後の研究を待つ」というものだった。
自由意志はない。という考え方は、友人から借りてどっぷり漬かってしまった、リチャードバックの「イリュージョン」と正反対の結論である。
- 作者: リチャード・バック,Richard Bach,村上龍
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1981/03/20
- メディア: 文庫
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イリュージョン、という本は御伽ばなし、だけど、人間は自由だ、って主張する筋道が、「脳とクオリア」と一緒、だと感じた。
きっと、人間の自由意志があるかどうか、という問題意識は、「幸運と不幸」「勝利と敗北」などのように、主観の「価値」がたぶんに絡んでくるだろう問題だから、主観を「科学に組み込む」方法論を確立したあたりで研究が進むんだろう。
今は自分に都合のいいほうを使っていたらよい。
「人間性」に密接に絡んでくる、「自由」。これがないとなったら、法学、倫理学、さまざまな価値観の書き換えが必要になる。「人間は自由だ」って、啓蒙思想のベースだし。
「科学」のVISIONは啓蒙思想にインスパイアされているが、その科学が、もともとにあった啓蒙思想をぶち壊すかも、って期待がヤバイ。