―嘘


嘘について考える。


まず、「嘘」、は、社会的、倫理的にまずいものだ。とされる。社会は信頼と契約で成り立っている。一方嘘は、信頼を成り立たせない、効果があるからだ。



このように嘘は排斥されるものだ。



が、僕は嘘、が大好きだ。



世界の選択股を増やすからだ。世界ってひとつしかないように思われているのに。



例えば、友人から聞いた話。「鏡村(高知市の北西に位置する山間部の村)にウサマビンラディンが潜んでいる」そんなわけない。が、一方、いないことを証明することも難しい。自衛隊と警察で山狩りして、偵察衛星で確認しても、アフガニスタンで米軍すら見つけられなかった男が見つかるとは思えない。また、こんなことをする資金も時間も人もいない。だから、反証出来ない。



常識的に考えて嘘、だ。というのが反証の根拠。これは根拠としては弱い。



反論できない、いるかいないかわからない。こうした状態。ここで世界が広がる。いるかもしれない。四国山地の奥にいるかもしれない。いたら面白い。そこで、生活が面白くなる。



嘘は生活を面白くする。世界を自分から作る、攻撃手段である。