―問題・・比較について


よく友人や後輩から聞く「大学ってなにをするとこじゃ!」この問いに対して僕は明確な答えを持ち合わせていない。同様に義務教育や高等学校、自分の仕事、についてもこの質問はできる。そして、その答えは自分で持っておくものだ。また、僕は教育者ではないから、各教育機関の目的を言う必要はない。僕は単純に、どのような環境であっても広い意味で学べるから、それは個人で考えてくれ、というものだ。



だが、一般に、出身大学によって職業や、会社や、ひいては収入が左右される場合もある。だから、出身大学は生きていく中で重要な要素のひとつである。同様に、大学やそれまでの教育で何を学んで、何ができるようになったのか、も大変重要な要素である。僕は後者の方がかなり重要だと思う。しかし、出身大学で就職説明会の参加枠を決めたりする学歴重視なものも以前存在する。



なぜか?僕は、「人間の能力を比較することは非常に難しい。一般的に難易度の高い大学の出身者はそれなりに努力して入学していると考えられるので、ある程度いい人間なのではないか」と考えられているからだと思う。ほかにも「慣習」や「文化」の影響もあるだろう。


そのことについて善悪は問わない。ただ、ここにこそ僕の興味がある。


それは。「比較しがたいものをどうやって比較するか」というものだ。


これは大学だけでなく、たとえば「ウルトラマンウルトラセブンのどちらが強いか」という幼稚園のとき真剣に考えるだろう問題から、「人間の能力をどうやって測るか、それをどうやって人事考課に含めるか」といった難題まで幅広く存在する。また、人類の学問、とくに数学や論理は「比較しがたいものを比較するために」あるともいえる。


で、人間の比較しがたいものを比較するための概念や道具で僕が知っているものは。

  1. 貨幣
  2. 論理学、数学
  3. 暴力も含めたコミュニケーションと社会の雰囲気
  4. 脳の機械的な処理過程


これらは割りとあいまいにしか処理できない。


ではそもそも「何のために比較するがか?」


しばらく考えてみよう。