―ゆるされたい


ネットワーク経営論のレポートが終わり、ひと段落。これで美芸論の対策に入れそう。


最近バイトしていて思うこと。
きっと、俺の対人関係の欲望は、「ゆるされたい」が基本みたい。
僕は「あいてに許されたい」から、
一生懸命物事に当たる傾向がある。
卑屈っぽく見せる傾向がある。
安全パイを切る。
店を出るときにはありがとうていう。
神社で祈るのが好きだ。
女性に許されるファンタジーが大好きだ。


ぱっとみ、善良な市民のようだが、底辺は違う。


相手に許されたいのを本気で願っているからだ。
この辺エゴイスト。
完成された利己主義=利他主義になるのは常識なんでわるい意味はない。


なんかキリスト教みたいでいやだが、そういう風にプログラムされているようだ。そういえば、昔トルストイの短編(名前は忘れた。2ページぐらいの小品で、罪深い魂が天国の門をたたく話。結局天国は愛ゆえに全部ゆるすんだね)を読んでえらく感動させられた記憶があるが、その底辺にもゆるされたい願望が潜んでいる。


宗教にはまることはないだろうけど、僕を使う側の人間は、僕を許してくれたらそれで動くので、使いよいのかもしれない。単純だからね。


許されたい願望って普遍的なものなんだろうか?


あなたはどうなんです?