なぜ、さまざまな概念が樹木構造にできるのか、気がかりでしょうがない。生物の分類、歴史、論理、軍隊など樹木構造で記述できる系がたくさんある。
単純に、人間の脳みそが樹木構造で捉えたほうがいいという話なんだろうか?
大脳前頭葉の連合野で抽象概念を処理しているが、人間が抽象概念を発明した理由を、情報処理能力の合理化だと唱えた学者がいる。
この説を支持するとすれば、概念が樹木構造で記述できる理由は、人間の前頭葉連合野のため、といえるらしい。
人間が捉えている世界が、脳の幻想のような気がしてしょうがない。
客観性は幻想なのか?