―映画

映画は好きだ。でも映画なしでも生きていける。言い換えると普通に「好き」


映画が普通に好きな人はたくさん知っている。でも嫌いな人を聞いたことがない。しかし、テレビが嫌いな人間はよく知っている。同じように映像を扱っているにもかかわらずだ。テレビを批判した映画はトゥルーマンショーとかいろいろあるのに、映画を批判したテレビ番組を見たことがない。何でこんな差ができるのか?


映画を見るためには、自分でお金を払わなければならない。ビデオで看るときも、借りるか買うかしなければならない。
テレビを看るためには、大体の家にはテレビがあるので、スイッチを押して、好きなチャンネルにあわせるだけでいい。


この違いが重要な気がする。自分で見ようと思って何か代償を払うということが映画が嫌いな人が少ない理由なのだと考える。

理由は2つある。
第一に、代償を払って行った行為の結果を人間は好ましく捉える傾向がある。以前広告の本で読んだ。車の広告を見ている人間は、ほとんどが車を買った後の人間だったらしい。車は高価なので、対価に見合うだけの価値があるかどうか、無意識的に確認しているという理由付けがあった。どうやら心理学で研究されている分野らしい。


第二に、テレビが嫌いな人、論者が言っている内容である。彼らはテレビが押し付けがましいだとか、文化的に低級だとかいっている。これらは高校の現代文の長文の練習問題でやった内容から引いてきているので証拠としての信頼性は低いが、僕の主張をある意味で支持しているので、引用することにする。


結論として、映画が嫌いでないのは、代償を払ったものは好ましいと感じる人間の傾向が生み出したものだと思う。


ということは、あえて価格を高く設定することで、消費者の満足につながる、という価格政策を支持するので、興味深い。