―科学技術史レポート

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コンテンツ

■要旨
天体が動く理由を人類は必要とした。第一に正確な暦が必要だから、第二に外洋の航海では天測航法を行うから、正しい星図が必要なため、最後に天体が動く理由自体が不可思議なものだからである。
天体が動く理由が不思議なので、学者は古くから議論してきた。結果、地球は太陽の周りを公転していて、地球自体も自転している。宇宙に中心はない。という結論に達した。
この議論の過程で重要な点は、理論を裏付ける観測の重要性がわかったことと、観測技術の発展が科学の発展と密接にかかわっている点である。
これらの2点は科学技術史において重要である。なぜならば、自然科学とは「実験に基づく系的な学問」という意味である。理論が実験結果を予測し、結果が観測によって確かめられることではじめて事実であると証明できる。この結果は誰でも真を証明できるので、より正確な真実を求めることができる。
地動説、天動説の議論は、こうした自然科学のあり方の議論を象徴しているので、この議論を通して、自然科学のあり方がどのように進歩してきたか、明らかにしたい。

▼ 主張
①:「自然科学にとって、観測結果で理論を証明することは重要である。」
②:「観測技術の進歩は、自然科学の理論の進歩と密接な関係がある。」

▼ 論理構造
第一に、地動説、天動説の定義を明らかにする。次に地動説、天動説の議論の概要を述べる。第三に論点を整理する。第四に、どのように地動説が認められていったかという過程を明らかにする。
地動説が認められる過程で重要なことは、第一に、観測技術の進歩が理論の進歩に資する点。第二に、観測結果が理論の証明に対して重要であることを明らかにした点である。
この二点は現在の自然科学の定義にも通用する。
ゆえに、自然科学にとって、観測結果で理論を証明することは重要である。


■地動説、天動説とは
なぜ、天体が動いているのか、という疑問は太古からあった。この疑問に対して二つの回答が用意された。地球の周りを天体が回っている、という天動説。太陽の回りを地球が公転しており、自転することによって天体が回っているように見える、という地動説である。
■天動説とは
天動説では、宇宙の中心には地球があり、太陽を含めすべての天体は約1日かけて地球の周りを公転する。だが、太陽や惑星の速さは異なっており、これによって時期により見える惑星が異なると考えた。天球という硬い球があり、これが地球や太陽、惑星を含むすべての天体を包み込んでいる。恒星は天球に張り付いているか、天球にあいた細かい穴であり、天球の外の明かりが漏れて見えるものと考えた。惑星や恒星は、神が見えない力で押して動いている。あらゆる変化は地球と月の間だけで起き、これより遠方の天体は、定期的な運動を繰り返すだけで、永遠に変化は訪れないとした。

その上で、天動説は単なる天文学上の計算方法ではない。それには当時の哲学や思想が盛り込まれている。神が地球を宇宙の中心に据えたのは、それが人間の住む特別の天体だからである。地球は宇宙の中心であるとともに、すべての天体の主人でもある。すべての天体は地球の僕であり、主人に従う形で運動する。中世ヨーロッパにおいては、天動説がキリスト教神学に合致するものとして、公式な宇宙観とみなされていた。14世紀に発表されたダンテの叙事詩神曲』天国篇においても、地球のまわりを月・太陽・木星などの各遊星天が同心円状に取り巻き、さらにその上に恒星天、原動天および至高天が構想されていた。


■地動説とは
地動説とは天動説に対する反論の総称である。第一に、宇宙の中心は地球ではない。第二に、地球は太陽の周りを公転している。第三に地球は自転している。とする考えである。
厳密に言うと以上三点の考え方は別々の論点であるが、一般的に地動説には含まれて議論されているため、地動説の説明に取り入れることにした。


■天動説、地動説の論争
古代、多くの学者が宇宙の構造について考えを述べている。たとえば古代インドでは、須弥山説が唱えられ、古代中国では、蓋天説や渾天説が唱えられた。特に、古代ギリシアでは、宗教を離れて、多くの論争がなされた。
特に、古代ギリシアでは、地動説を唱える人間と、天動説を唱える人間がいた。
ギリシアの天動説を唱える人間の代表として、アリストテレスやエウドクソスは、宇宙の中心にある地球の周りを全天体が公転しているという天動説を唱えていた。
一方、ギリシア期に、地動説を唱えた人間も存在する。エクパントスは、地球が宇宙の中心で「自転している」という説を唱えた。また、ピロラオスは地球も太陽も宇宙の中心ではないが自転公転しているという説を唱え、アリスタルコスは、宇宙の中心にある太陽の周りを地球が公転しているという説を唱えていた。ただし、アリスタルコスやエクパントスの地動説は今日的に見ると奇異な考えではあるが、「地球の周りを天体が回っている」と唱えてはいないため、地動説に分類される。
古代の論争に終止符を打ったものが、2世紀エジプトの天文学者プトレマイオスである。彼は、学説からより確からしいものを集め、体系化し、「アルマゲスト」をあらわした。これでは主に、アリストテレスの説が基盤になっている。地球が宇宙の中心にあるという説を唱えた学者はこれ以前にもいるし、惑星の位置計算を比較的に正確に行った者もそれ以前にいたが、すべてを体系化したプトレマイオスの名をとり、今なお天動説は、プトレマイオスの天動説とも呼ばれる。
プトレマイオスの天動説は長い間支持された。その理由は、第一にキリスト教の公式な宇宙観に採用された点、第二に、天動説を否定するような観測、実験結果が現れなかった点、最後に、当時の実感として自分が立っている地面が動いているのが信じられず、またそのような素朴な疑問に地動説は答えられなかった点が上げられる。このような理由で天動説を批判する学者はいなかった。
中世に地動説を唱えた学者には、ポーランドコペルニクスが挙げられよう。コペルニクスは司祭であり、天文学者でもあった。コペルニクスは、天動説から一年の長さが計算できないことを問題視していた。事実、当時のユリウス暦より天動説で計算された暦がわずかに短かったので、当時で約10日のずれが生じていた。コペルニクスギリシアアリスタルコスの意見を参考にして、地球がその周りを1年かけて公転するものとして、1年の長さを365.2425日と算出した。1543年、その測定方法や計算方法をすべて記した著書『天体の回転について』を刊行した。
観測結果も地動説を支持した。ヨハネス・ケプラーはティコ・ブラーエから引き継いだ惑星の観測データをもとにケプラーの三法則を主張した。
第1法則 : 惑星は太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。
第2法則 : 惑星と太陽とを結ぶ線分の描く面積は単位時間あたり常に一定である(面積速度一定)。
第3法則 : 惑星の公転周期の2乗は軌道の半長径の3乗に比例する。
なお、第一法則、第二法則が解明され(1609年発表)、後に第三法則が解明された(1619年)。
それまでの地動説の弱点は、惑星が正円軌道で公転しているのに、惑星の軌道を正円軌道で計算するとずれが生じることにあったが、ケプラーの三法則によってこの問題は解消された。
また、ガリレオは天体観測儀を用い、さまざまな惑星を観測した結果を元に1610年に『星界の報告』を発表した。彼は木星の衛星を4個発見し(ガリレオ衛星)、金星食も発見した。これらの発見はコペルニクスによる太陽系の太陽中心説(地動説)を支持するものだった。
一方、新旧キリスト教宗教界は反発した。マルティン・ルターガリレオを「天地をひっくり返す馬鹿者」と評した。ローマ教会はガリレオを二回裁判にかけ、有罪判決を下した。1616年には新たに、天動説がローマ教会の認める宇宙論だと決定した。
しかし、誰が観測しても惑星の運行や正しい暦を計算できる地動説は徐々に浸透していった。たとえば、ケプラーの結果をもとにしたルドルフ星表はきちんと惑星の運行を予測できた。また、ユリウス暦を改正したグレゴリオ暦の策定時にも地動説は参考された。最後にニュートン慣性の法則の発見により、万有引力が働くから地球が自転しても雲や鳥は遅れない、という説明ができるようになり、地動説の正しさが証明された。
地動説は単なる惑星の軌道計算上の問題のみならず、世の哲学者、科学者らに大きな影響を与えた。地動説の生まれた時代を科学革命の時代とも言うのは、それほどまでに科学全体に与えた、そして、科学が人間の生活に影響を与え始めた時代であることをも反映している。今でも「コペルニクス的転回」などと呼ぶのは、その名残である。
現在では1965年にローマ教皇パウルス6世がこの裁判に言及したことを発端に、裁判の見直しが始まった。最終的に、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。ガリレオの死去から359年後のことである。


■論点の整理
地動説と天動説の論争の論点を整理したい。
論点を整理することで、この論争が解消されるまでに、どのような科学と技術の進歩転が影響したか明らかにするためである。
第一に、地球が自転しているかどうか という点。
第二に、地球が公転しているかどうか という点。
第三に、惑星の公転中心に太陽があるかどうかという点である。
これを次ページの表で整理する。









  地球の自転の有無 地球の公転の有無 宇宙の中心はどこか
アリストテレス していない していない 地球が宇宙の中心
エウドクソス  同上 同上   同上
エクパントス している していない 地球が宇宙の中心
ピロラオス している している 地球も太陽も宇宙の中心ではない
アリスタルコス ? している 太陽が宇宙の中心
プトレマイオス していない していない 地球が宇宙の中心
コペルニクス している している 宇宙の中心は太陽(恒星天が太陽系外を公転している)
ガリレオ している している 宇宙の中心は太陽(恒星天が太陽系外を公転している)
ケプラー していない していない 地球が宇宙の中心。ただし、ほかの惑星が太陽の周りを公転している。(修正天動説)
シャプレー している している 太陽は宇宙の中心ではない。

ギリシア期にはさまざまな意見が現れたが、プトレマイオスアルマゲストでそれまでの天文学を集大成し、キリスト教と接近することで、天動説が主流となった。
ただし、アルマゲストは、肉眼の精度において天体の動きを予測できたので、当時としてはもっとも優秀な理論だった。
ルネサンス以降の科学革命においてコペルニクスらが地動説を提唱した。地動説は観測と新しい理論によって確かめられた。
ここで、論点を整理する。
前提として、直感的には「天体が地球の周りを回っているように見える」。また、「大地が動いているとは思えない。」最後に、地球が自転、公転しているかどうか、を感覚的に確かめることが難しいことである。
論点1:「なぜ、惑星はほかの天体と同じ方向に動かない(逆行)するときがあるのか?」
論点2:「何が惑星を公転させているのか。」
というのが大きな論点であった。


■地動説が採用された理由
地動説が結局採用された理由は、「地動説のほうが、天動説より、簡単に天体の運行を説明でき、正確に天体の運行を予言できる」ためである。
まず論点1について考える。プトレマイオスの天動説は各惑星に「周天円」という概念を導入することで疑問を解消してきた。「周天円」とは地球を中心とした宇宙を各天体が公転している。その中で各惑星は自分で公転している。という円である。観測の発展につれて周天円の数は次第に増していった歴史を持つ。
こうした説明で1000年ほど天動説は支持された。理由は、第一に、実際の肉眼での観測では誤差が現れなかった。第二に、人間は特別な存在だから、人間の住んでいる地球が宇宙の中心に違いない、とスコラ哲学で考えられたためである。また、スコラ哲学のルーツはアリストテレスである。アリストテレスは天動説を唱えているので、ルーツたるアリストテレスを疑うことはできない、と当時の知識人が考えたためもある。

しかし、天動説理論にほころびが見え始めた。その理由は、「観測機器の進化と普及」「大航海時代の要求」がある。

▼「観測機器の進化と普及」

望遠鏡が発明されたのは1608年オランダである。実際の発明者は不明であるが、当年、オランダで特許が申請された事実を以って1608年の発明であるといわれる。
望遠鏡は一年でヨーロッパを席巻した。イタリアでは1609年7月、ガリレイは望遠鏡を使用して天体観測を行った。同年、ドイツのケプラーケプラー式望遠鏡を作成した。    
彼らは天体観測を行う中で天動説の誤りを指摘していったから、観測機器の進歩と普及が地動説普及に役立ったといえる。

▼「大航海時代の要求」

コペルニクスが「天体の回転について」を現したのは1543年である。当時、ヨーロッパは大航海時代の最中であった。たとえば同年、種子島ポルトガル人が火縄銃を伝えている。また、1522年にはマゼランが地球一周をしている。
大航海時代、遠洋の航海を可能にしたのは以下の2点である。それは船の位置と進路を明確に把握できるようになったことが大きい。第一に、羅針盤の発明によって針路が把握できるようになったため。第二に、六文儀の発明によって天測航法が合理的に行われるようになったためである。このため、正確な航法には正確な星図と海図が必要になっていた。
一方、当時の天動説には欠陥が存在した。天測航法時に惑星の位置が常に数度ずれていたのである。この問題を解決するために天動説、地動説の議論が再発したのである。

 ▼「地動説が天動説より正しい理由」
コペルニクスが正確な暦の作成のため、地動説を提唱した。コペルニクス暦は後のグレゴリオ暦に参考にされるほど精度が高かった。精度が高い理論のほうが正しい。
ガリレオが「ガリレオ衛星」を発見した。ガリレオ衛星木星を公転していて、これを天動説では説明できなかった。
ケプラーが、師ティコ・ブラーエが集めた観測記録を元にケプラーの法則を明らかにした。この結果、天体は楕円軌道を描いて公転していることが証明された。地動説の弱点のひとつに、惑星が正円軌道を描いているとすると、正しく起動を計算できないという欠点があった。だが、ケプラーの発見によりこの欠点がなくなったので、地動説の理論が正確になった。
この時点では、論点2「何が惑星を公転させているのか。」を説明できなかったが、これをニュートンが説明した。ニュートンは、万有引力の法則を明らかにした。太陽の引力をもとに公転していることが明確になったので、何が惑星を公転させているのかが明らかになった。
このように、地動説のほうが、天動説より、単純に天体の運行を説明でき、正確に天体の運行を予言できるので、地動説が浸透していった。


■天動説、地動説論争の科学技術史的位置づけ
当レポートでは、科学を自然科学という意味で定義する。自然科学とは「実験に基づく系的な学問」という意味である。
したがって科学理論は「理論から演繹された予言は実験、観測によって証明されなければならない」のである。
ギリシアの地動説論者にかけていたのはこの部分であった。彼らは観測する道具を持っていなかったからだ。ガリレオら、科学革命時の学者が地動説により説得力を与えられた理由には観測器具の発展がある。
その意味で、天動説、地動説の論争は、科学と技術の発展には密接な影響があることと、科学理論のあるべき姿を浮き彫りにするための好例である。